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    【日本】Amazonの荷物をぶん投げる配達員が撮影され物議!


    Amazon.com, Inc.(アマゾン・ドット・コム・インク)は、アメリカ合衆国・ワシントン州シアトルに本拠を構えるECサイト、Webサービス会社である。アレクサ・インターネット、A9.com、Internet Movie Database(IMDb)などを保有している。アメリカ合衆国の主要なI
    55キロバイト (7,246 語) - 2020年1月6日 (月) 01:53



    (出典 tk.ismcdn.jp)


    年々変な奴が社会に出て働いてるよね〜

    【動画はこちら】

    Amazonの箱をぶん投げる配達員がドライブレコーダーで撮影され物議を醸しています。

    ネットには「マジレスすると、Amazonも取扱う物流倉庫の中では、ダンボールをブン投げるの朝飯前。蹴飛ばしたりリフトで弾いたりやりたい放題ですよ。」「給料安くて拘束時間長い&拘束時間に見合った残業代出ない。送料無料の裏側にある事情も一度考えてみて。」「配送業者がこれをやったらお終い」などのコメントが寄せられています。

    海外の同じような動画はたびたび話題になりますが、日本国内の動画は初めて見ました。楽しみにして待っている人のためにも、大切に運んで欲しいです。

    【動画はこちら】

    【日本】Amazonの荷物をぶん投げる配達員が撮影され物議!


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    「退職代行を使うヤツは弱い」と言う人は、ブラック企業の現実を知らない


    ブラック企業ブラックきぎょう)(和製英語で造語。英語ではSweatshopと表記)またはブラック会社(ブラックがいしゃ)とは、企業舎弟を指す。最近になって意味が変わり、「新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働・パワハラによって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業
    93キロバイト (15,229 語) - 2020年1月9日 (木) 05:57



    (出典 www.hop-job.com)


    ブラック企業で働かないとその辛さはわからない!!

    「こういうゆとり世代っぽいサービス(退職代行)を考えられると、関係ないゆとり世代まで怒られる。ぜひやめて頂きたい」

     昨年末、出演する情報バラエティ番組内でこう語ったのは、人気ギャルモデルゆきぽよ氏(『サンデージャポンTBS系2019年12月2日放送)。

     ゆきぽよ氏の発言には「『厳しい世界を生き抜いてきた』という強い自負がある人なのかな」くらいにしか思いませんでしたが、その後ゆきぽよ氏に批判が殺到しているのを見るに、「退職代行」は今や市民権を得るほど需要も高く、この時代に出るべくして出たサービスなんじゃないかと思うようになりました。

     以前勤めていた会社を退職する際、相当な引き留めにあった私としては、退職代行サービスの利用には肯定的です。人手不足の会社にとっては、たった一人の社員が退職するだけでも致命的なダメージを受けることがあります。そのため会社側も必死になって、深夜でも関係なく「考え直せないか」といった電話をかけてきたり、思い通りにならなければ嫌がらせをしたりと、なりふり構わず私の退職を阻止しようとしたのでした。

    ◆まともな会話が成立しない会社もある

     退職代行サービスに否定的な意見の中には「嫌なことを人に任せていては『逃げ』の人生になる」、「今までお世話になった会社に対して、筋は通すべき」といったものがあります。

     しかし、そもそも退職代行を利用する人たち自身も、多くの場合は使いたくて使っているわけではありません。やむを得ない理由があるからこそ第三者にお金を払ってまで依頼しているのであって、できることなら、費用をかけずに円満退社で終わらせたいのではないでしょうか。

     ただ、それはあくまで「会社側の対応がまともなら」の話であり、良識ある対応を取ってもらえる場合に限って、です。残念ながら、退職の意向を示す社員をしつこく引き留めたり、嫌がらせをしたり、悪質なケースであれば恫喝、暴行が行われるなど、常識の範囲から大きく逸脱したことを普通にやってしまう会社も少なくありません。

     ニュースでも大きく報道されていたように、最近では社内での自殺教唆やパワハラによる自殺もあとを絶たず、社会問題になりつつあります。

     まともに会話が成立する相手ならまだしも、違法行為を堂々と行う会社や上司であれば、話し合いで解決するのは相当骨が折れますし、退職を引き延ばしにされ、トラブルが長期化することも十分考えられます。

     こうしたトラブルに見舞われた場合は労働基準監督署や弁護士に相談することもできますが、「膨大な時間や費用をかけるくらいなら、初めから退職代行サービスを利用して一刻も早く会社と縁を切りたい」と思う人がいても不思議ではないでしょう。

    ◆退職トラブルで適応障害や顔面麻痺になった知人

     私の知人にも、退職を申し出たことで、会社とトラブルに発展してしまった人は少なくありません。「会社を辞めるなら、今まで支給した交通費をすべて返せ」と言われたり、長期間にわたって陰湿な嫌がらせを受けたり、「同じ業界に転職できないように根回ししてやる」と脅されたケースも知っています。

     被害を受けた知人たちの精神的な負担は相当なもので、そのとき発症した適応障害に今も苦しんでいる人や、顔の神経が麻痺してしまったことで、10年以上続けてきた管楽器が吹けなくなってしまった人もいました。

     ここまで追い込まれても、尊厳を踏みにじられても、加害者に通すべき「筋」とは一体なんでしょうか。理不尽な攻撃でボロボロになってまで、会社から逃げることも許されないのでしょうか。

    ◆迷惑がかからないよう務めるのはもちろん大事だけれど

     退職をめぐったトラブルでは、会社側は問題を表沙汰にしたくない思惑があります。そのため、話し合いにおいて「第三者」に介入してもらうのは非常に有効な解決手段です。

     もちろん退職に際して、これまで一緒に働いてきた仲間になるべく迷惑がかからないよう務めることは最低限の礼儀であると思います。できれば退職の挨拶もしておいた方がいいですし、引き継ぎを済ませてから会社を去るのが望ましいでしょう。しかし、どうしても事情があってそれが難しいのであれば、誰かに助けてもらうことがあってもいいのではないかと思うのです。

    「逃げだ」と言われようとも、「筋を通していない」と言われようとも、誰にも助けを求められずに心身を病んでしまう社会より、自分にとってもっとも負担の少ない方法を選択できる社会の方が、私はずっといいと考えています。

    ◆自分もいつ「助け」が必要になるか……

     退職代行サービスについては賛否両論ありますが、「一人では手に負えないようなトラブルに見舞われてやむなく利用する人」と、『「面倒臭いことは人任せにしたい」という理由で利用する人』を同列に語るべきではないですし、何も退職代行サービスの利用自体を十把一絡げにして、善悪の判断を下す必要はないでしょう。

     自己責任論が強く叫ばれる日本社会においては、「誰かに頼ること」がたびたび非難されがちです。そして、非難されている人を見ていた大勢の人たちはそのたびに、誰かに頼ることがますます怖くなっていくのだと思います。しかし、今は一人で生きていられても、自分がいつ、誰かの助けが必要な状態に陥るかはわかりません。

     自分の価値観に合わないものを理解することは、いつか未来の自分を救うことになるかもしれないのだと、年齢を重ねるごとにつくづく感じます。

    <文/吉川ばんび>

    【吉川ばんび】
    1991年生まれ。フリーライターコラムニスト。貧困や機能不全家族、ブラック企業社会問題などについて、自らの体験をもとに取材・執筆。文春オンライン、東洋経済オンラインなどで連載中 twitter:@bambi_yoshikawa

    画像はイメージです


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    「子を遺さずに死んでいく人生」は無意味なのか


    子供」のように特定の時や場所または環境等の状況を受けている人の集団を指して用いられることもある。 思慮や行動などが幼く足りない者のことも指して使われる用語もあり、幼稚さや要領・主体性の無さを表す言葉として「子供っぽい」「子供らしい」「子供の使い」等の慣用句もある。 なお、子供
    50キロバイト (6,959 語) - 2019年11月28日 (木) 10:02



    (出典 world-family.co.jp)


    無意味ではないでしょwww

    子供を持たない選択をする人が増えている。子供を持たないと、自分の生きた証しは次の世代へ遺らないのだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「そんなことはない。子供がいなくても、今を真剣に生きること自体が次代へのメッセージになる」という——。

    ■人生の折り返し地点であえて半生ではなく人生について語る

    「人生について書いてほしい」と言われたとき、僕の胸に去来したのは、「お前はもうオワコンだから衰えて何もできなくなる前、今のうちに人生を総括して、少しでも後進の役に立つようなことをしなさい」と言われているのかな……という寂しい気持ちである。

    45歳とはそういう斜陽でおセンチなお年頃なので、お取り扱いには気を付けてもらいたいものだ。それが書きもののオファーであっても、だ。秋の夕暮れに自分の落日する姿を重ねて、瞼(まぶた)を濡らしているくらいなのだからね。

    実際問題、人生の折り返し地点をターンしたばかりの人生ペーペーなので、人生が何なのかまだ分かり切ってはいない。ただ、間違いようのないのは、誰の人生でも必ず終わるという事実。

    だから人生や人生の意味について訊かれると、人は「人生が終わるときに悔いのないような生き方をする」という終わらせ方、「後の世の中に遺産(レガシー)を残したい」という遺産的なもの、そういう人生の終わりにフォーカスした内容を挙げてしまうのだ。

    強力な権力者や、使い切れないほどの財を成した成功者に顕著な特徴は、レガシーを遺そうとすることだ。

    美術館図書館をつくったり、福祉施設に寄付をしたりして、玄関ホールに己を模した銅像が飾られるのだ。銅像になって嬉(うれ)しいとはおめでたいかぎりだと僕は思うのだけれど、実際そういうものである。

    ■子孫を残すことの意味について考えてみた

    子孫を残すことは、間違いなく人生の意味であり、後世へのレガシーの一つといえるだろう。残念ながら(?)僕には子供がいない。

    奥様に汚物扱いされて拒否られているという悲しい事情もあるが、年齢的にこれから子供を持つのは現実的ではない。子供が成人するまで面倒を見なければならないとすると、仮に「あなたの赤ちゃんです……認知して……」と会った記憶のない女性が隠し子を連れてあらわれるという望まぬカタチで、今、子供を授かったら、最低でも66歳まで働いて養わなければならなくなる。

    はっきりいって、それは、キツすぎる。

    だから現実的に考えて、子供はいらない。子供がいないからといって、人生の意味がなくなるわけではない。子供がいない人生を楽しめばいいだけのことだ。世の中には子供がいない夫婦も大勢いる。

    ■「遺す」ではなく「置いていく」という意識

    「子供以外のレガシーを残せばいいじゃないか」というご意見もあるだろう。玄関ホールの銅像になった過去の偉人の皆様には申し訳ないが、子供以外のレガシーに意味はないと僕は考えている。レガシーとは先代の人間が遺したものであり、残酷な言いかたをするならば、老人のワガママのカケラである。

    遺したものがレガシーになるか、負の遺産になるかは、遺して、先にこの世から去っていくサイドの人間にはわからない。

    それはいささか無責任すぎやしないか。部活を引退していく先輩が「じゃあ後を頼むぜ」つってウゼー伝統を遺していくのと、とても良く似ている。

    人生の意味とは、遺すものだけではなく、今を精いっぱい生きることに宿るものだと考えている。人生はいつ終わるかわからないからこそ、今を真剣に考え、愚直に生きる。

    それが人生であり、人生と真剣に向き合うことに意味がある。

    僕には子供がいない。不動産や財産を遺すつもりもない。美術館も遺さない(遺せない)。ネットに書いた文章や執筆した書籍のいくつかは遺していくことになるが、後進の人たちにはそれをレガシー扱いしてほしいとはまったく思わない。役に立ててくれればいいな、くらいの軽い気持ちしかない。遺すのではなく、置いていくだけのことなのだ。

    ■行動の遺伝子を未来につなぐという考え方

    「随分と後世に無責任な生き方ではないか」という批判もあるかと思う。そう思われても仕方がない。実際、僕は自分より若い世代に干渉したくないのだから。前の世代に縛られずに、勝手自由に生きていただけたらいい。僕もそうやって生きているつもりだ。

    今を真剣に生きること自体がレガシーになると僕は考えているのだ。

    たとえば楽しく遊んでいる姿や、真面目に働いている姿、もしかしたら毎日規則正しく生活を送っていること。そういう姿を見た後々の世代が、「ああいうふうに生きたい」「あれは見習いたい」「ちょっとあの人のような人生は送りたくない」と思ったり、感じたりすれば、それは立派なレガシーといえるだろう。経験からこれだけは言える。

    「真剣に生きていない人からは何かを感じることはない」

    僕の父は若くして亡くなってしまったが、休日はカヌーに乗ったり、スキューバをやったり、どこまでも「楽しく」を真剣にやって生きていた。その姿は「人生を楽しもう」というメッセージになって僕へのレガシーになっている。

    子供を通じて次代に遺伝子を遺すことはできる。今を真剣に生きていれば、行動の遺伝子を次代へつないでいける。子供がいなくても、それだけで十分に人生の意味になりうるのではないか。そう僕は思うのだ。

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    フミコ フミオ ブロガー
    1974年2月、神奈川県生まれ。神奈川の湘南爆走族エリアに生息する中間管理職。「はてなブログ」の前身である「はてなダイアリー」で2003年からブログを始め、今では月間100万PVを誇る会社員ブロガー。独特な文章でサラリーマンの気持ちを代弁。ツイッター:@Delete_All ブログ

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maki_shmaki


    (出典 news.nicovideo.jp)

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