「子を遺さずに死んでいく人生」は無意味なのか


子供」のように特定の時や場所または環境等の状況を受けている人の集団を指して用いられることもある。 思慮や行動などが幼く足りない者のことも指して使われる用語もあり、幼稚さや要領・主体性の無さを表す言葉として「子供っぽい」「子供らしい」「子供の使い」等の慣用句もある。 なお、子供
50キロバイト (6,959 語) - 2019年11月28日 (木) 10:02



(出典 world-family.co.jp)


無意味ではないでしょwww

子供を持たない選択をする人が増えている。子供を持たないと、自分の生きた証しは次の世代へ遺らないのだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「そんなことはない。子供がいなくても、今を真剣に生きること自体が次代へのメッセージになる」という——。

■人生の折り返し地点であえて半生ではなく人生について語る

「人生について書いてほしい」と言われたとき、僕の胸に去来したのは、「お前はもうオワコンだから衰えて何もできなくなる前、今のうちに人生を総括して、少しでも後進の役に立つようなことをしなさい」と言われているのかな……という寂しい気持ちである。

45歳とはそういう斜陽でおセンチなお年頃なので、お取り扱いには気を付けてもらいたいものだ。それが書きもののオファーであっても、だ。秋の夕暮れに自分の落日する姿を重ねて、瞼(まぶた)を濡らしているくらいなのだからね。

実際問題、人生の折り返し地点をターンしたばかりの人生ペーペーなので、人生が何なのかまだ分かり切ってはいない。ただ、間違いようのないのは、誰の人生でも必ず終わるという事実。

だから人生や人生の意味について訊かれると、人は「人生が終わるときに悔いのないような生き方をする」という終わらせ方、「後の世の中に遺産(レガシー)を残したい」という遺産的なもの、そういう人生の終わりにフォーカスした内容を挙げてしまうのだ。

強力な権力者や、使い切れないほどの財を成した成功者に顕著な特徴は、レガシーを遺そうとすることだ。

美術館図書館をつくったり、福祉施設に寄付をしたりして、玄関ホールに己を模した銅像が飾られるのだ。銅像になって嬉(うれ)しいとはおめでたいかぎりだと僕は思うのだけれど、実際そういうものである。

■子孫を残すことの意味について考えてみた

子孫を残すことは、間違いなく人生の意味であり、後世へのレガシーの一つといえるだろう。残念ながら(?)僕には子供がいない。

奥様に汚物扱いされて拒否られているという悲しい事情もあるが、年齢的にこれから子供を持つのは現実的ではない。子供が成人するまで面倒を見なければならないとすると、仮に「あなたの赤ちゃんです……認知して……」と会った記憶のない女性が隠し子を連れてあらわれるという望まぬカタチで、今、子供を授かったら、最低でも66歳まで働いて養わなければならなくなる。

はっきりいって、それは、キツすぎる。

だから現実的に考えて、子供はいらない。子供がいないからといって、人生の意味がなくなるわけではない。子供がいない人生を楽しめばいいだけのことだ。世の中には子供がいない夫婦も大勢いる。

■「遺す」ではなく「置いていく」という意識

「子供以外のレガシーを残せばいいじゃないか」というご意見もあるだろう。玄関ホールの銅像になった過去の偉人の皆様には申し訳ないが、子供以外のレガシーに意味はないと僕は考えている。レガシーとは先代の人間が遺したものであり、残酷な言いかたをするならば、老人のワガママのカケラである。

遺したものがレガシーになるか、負の遺産になるかは、遺して、先にこの世から去っていくサイドの人間にはわからない。

それはいささか無責任すぎやしないか。部活を引退していく先輩が「じゃあ後を頼むぜ」つってウゼー伝統を遺していくのと、とても良く似ている。

人生の意味とは、遺すものだけではなく、今を精いっぱい生きることに宿るものだと考えている。人生はいつ終わるかわからないからこそ、今を真剣に考え、愚直に生きる。

それが人生であり、人生と真剣に向き合うことに意味がある。

僕には子供がいない。不動産や財産を遺すつもりもない。美術館も遺さない(遺せない)。ネットに書いた文章や執筆した書籍のいくつかは遺していくことになるが、後進の人たちにはそれをレガシー扱いしてほしいとはまったく思わない。役に立ててくれればいいな、くらいの軽い気持ちしかない。遺すのではなく、置いていくだけのことなのだ。

■行動の遺伝子を未来につなぐという考え方

「随分と後世に無責任な生き方ではないか」という批判もあるかと思う。そう思われても仕方がない。実際、僕は自分より若い世代に干渉したくないのだから。前の世代に縛られずに、勝手自由に生きていただけたらいい。僕もそうやって生きているつもりだ。

今を真剣に生きること自体がレガシーになると僕は考えているのだ。

たとえば楽しく遊んでいる姿や、真面目に働いている姿、もしかしたら毎日規則正しく生活を送っていること。そういう姿を見た後々の世代が、「ああいうふうに生きたい」「あれは見習いたい」「ちょっとあの人のような人生は送りたくない」と思ったり、感じたりすれば、それは立派なレガシーといえるだろう。経験からこれだけは言える。

「真剣に生きていない人からは何かを感じることはない」

僕の父は若くして亡くなってしまったが、休日はカヌーに乗ったり、スキューバをやったり、どこまでも「楽しく」を真剣にやって生きていた。その姿は「人生を楽しもう」というメッセージになって僕へのレガシーになっている。

子供を通じて次代に遺伝子を遺すことはできる。今を真剣に生きていれば、行動の遺伝子を次代へつないでいける。子供がいなくても、それだけで十分に人生の意味になりうるのではないか。そう僕は思うのだ。

----------

フミコ フミオ ブロガー
1974年2月、神奈川県生まれ。神奈川の湘南爆走族エリアに生息する中間管理職。「はてなブログ」の前身である「はてなダイアリー」で2003年からブログを始め、今では月間100万PVを誇る会社員ブロガー。独特な文章でサラリーマンの気持ちを代弁。ツイッター:@Delete_All ブログ

----------

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maki_shmaki


(出典 news.nicovideo.jp)

db

db

我々は「ただの遺伝子の乗り物」なのかね?…「生きる」とは、つまりどういうことなんだろうね?

カルル

カルル

国家とか宗教とか企業とか理念とか そういうミームを人は子供以外にも後世にひり出して擦り付けることができるのだョ まあ往々にして反教師なのだけれども

べるべる

べるべる

こういう言い訳してる時点で本人も無意味だって思ってんじゃないの?

にんつー

にんつー

それもあるからドーキンスは同時にミームを提言したのでは?

たぬき宇宙人

たぬき宇宙人

子供をとか?遺伝子をとか言ったら使命的な感じかもしれないが、家族が欲しいとか?絆が欲しいとか?じゃないの?垢の他人は、所詮、垢の他人だからね。ただ、コレだけのカオスな世界に子孫を残したところで、半世紀以内に世界は行きつまると思うけどな。地球は、人類の味方じゃないからね。愛は地球を救うとか綺麗事を言った所で、地球は人類に対して憎しみしか持っていないからね。

名無しさん

名無しさん

遺伝子残すったって、子孫は俺の残機や分身じゃない他人なんだから無意味だと思うんだけどなあ。

たぬき宇宙人

たぬき宇宙人

絆といえば美化しすぎだ。愛の結晶というより、快楽の副産物というのが子供だと思う。家族や家庭だと言っても、蓋を開けてみたら破滅しているような家庭の方が多い。金、金、金、金の切れ目が縁の切れ目みたいな母親に、果たして、性格の良い子が育つだろうか?親の背中を見て子供は育つ。老後に離婚する夫婦もいるぐらいだ。如何わしい愛や逸話の愛を育てた所で結末は同じだと思う。

中華の鉄人

中華の鉄人

じゃあ、なにか?松来未祐さんの人生は無意味だったとでもいうのか?

はつみ

はつみ

君から見た私の人生は無意味に見えるかも知れないが、私から見た君の人生ほど無価値なものはない。そして自分から見た自分の人生の意味や価値は自分しか決められない。

ちょっさん

ちょっさん

最近は意味があろうがなかろうが、どっちでもいいと思うようになった。思うように生きればいいのよ。

スーパーチキン

スーパーチキン

生物として失格

目玉の親父

目玉の親父

子供を残さないと生物失格とか言い出す馬鹿は、ようするに子供を残すことしか人としての功績を残せない無能ということでしょ。

ただいま絶望中

ただいま絶望中

オネアミスの翼で「この世に全く不必要なものなんてない。いられるはずがない。」という台詞があった。例え子孫を残さなかったとしても誰かと出会ったりしたことで、誰かの人生の何かに少しでも影響を与えたなら、それが生きていた意味なんだろう。

たぬき宇宙人

たぬき宇宙人

まぁ、コレ以上、屑が光り輝く世界ならば、そこは所謂、地獄だと思う。地獄の世界でよく頑張ったと自分自身で褒めればいいと思う。悪は栄える事はない。だから、最後は、地球によって殺される。素晴らしいシナリオだと思う。

はるちか

はるちか

宗教の話?

thousand

thousand

好きに生き、好きに死ぬ。十分に贅沢やないか。

こーじゅ

こーじゅ

意味なんて死んだ後に残った人たちが見出すんであって、生きてる奴が生きてるうちにどうこう言ってもなんにもならんのや。好きに生きろ

ハタモト

ハタモト

子供でも足跡でも何でも良いが、そもそも遺すことに意味はあるのか? 今評価されていることに、今自分が意味を見出す事はできるが、遺したところでそれを評価する自分はもう居ないのだ。 意味を云々するならば、遺すことこそ無意味の極致ではないのか?

黒澤ルビィ

黒澤ルビィ

人間に対して「生産性」なんて言葉を平気で使う世の中であれば、「子を遺さない人生は無意味」に行きつくまでそう長くは掛からなさそう

かなみ

かなみ

常に自分の性別を意識している人ならそうかもしれんね。有性生殖を行うために男女分かれて産まれてきたわけだし。少しでもいい相手を見つけて子供を残す。それはそれで正しい生き方だろうね。でも性別なんかに縛られたくなかったなあって人もいっぱいいるんだよね。